動物と人間の命の価値の違いとはなんなのでしょうか。
動物種によって命の価値は違うものなのでしょうか。
皆様は動物に関するこういった問題について、自分自身の考えがどのような立場であるかを考えたことがあるという人は案外少ないかもしれません。
動物を取り巻く環境は、人間との関わりの中で変化を繰り返し、変遷してきました。
その中で人間が動物に対して抱く考え方も次第に多様化してきました。
今回は動物に関する考えの移り変わりにはどういった歴史があるのかということや、動物愛護思想の代表例を出してお話したいと思います。
今回の記事を読み進めていただくと、自分自身が考える動物の倫理観というものが実際にはどういう思想なのかを再認識する機会になるのではと思っています。
アニマルウェルフェア(動物福祉)とアニマルライツ(動物の権利)
まず、動物を保護する思想の代表的なものとして、アニマルウェルフェア(動物福祉論)とアニマルライツ(動物権利論)の2種類が存在します。
アニマルウェルフェアとは、動物を我々人間のために利用すること自体を悪とはしない、という前提の思想があります。
ですが、生きている間には生活環境に配慮しQOLの高い生活をさせる、また屠殺や安楽死を行う場合には痛みや恐怖を極力伴わない方法を取るなど、動物に配慮した選択をしようというものです。
もうひとつのアニマルライツは、動物にも生きる権利があると主張したうえで食べ物に供することや実験動物として使用することなど全て悪とし、動物からの搾取を一切行うべきではないという主張のことを指します。
福祉とは
そもそも福祉とはなんなのでしょうか。
福祉とは、端的に言うと幸福のことを指します。
さらに細分化して考えると、外部からの扶助を受けてその人や動物が幸せに生きることを指します。
幸せの捉え方、考え方は様々で人間に置き換えてもその理解は難しいですよね。
動物の福祉と言うと幸せに生きるための環境の整備であったり、適切な食餌、苦痛からの開放などを福祉の一環と呼ぶことができます。
権利とは
権利という言葉を調べてみると、「ある物事をしてよい、またはしないでよいという資格」と出てきます。
人の権利にあてはめて考えると、社会的なルールはあるものの、様々な選択を自分自身で決定し、どのように生きるのも自由であり、生き死には自分自身が決定できるということになります。
動物もそういった資格を生まれながらに持っているはずだという主張をしているのが動物の権利論なのです。
昔は動物に福祉や権利などなかった
現在では動物の幸せに配慮した思想が定着していますが、昔はそういった考えはありませんでした。
フランスの哲学者、ルネ・デカルトは(1596〜1650)は、動物は機械と同じであるとする動物機械論を提唱しました。
この動物機械論は、動物は様々な部品が集まった集合体で、機械的な行動をとり精神(魂)がないものだと提唱しました。
人間は言葉を話すことができるので精神があり、言葉を話せない動物たちは精神がない単なる機械だと主張したのです。
この考えは18世紀半ばまで支持されていた考え方でした。
そのため、動物からはどんな搾取をしてもいいという考えが多くの人の根幹にあったのです。
動物の福祉が考えられるようになった
しかし、そのような考えはやはり間違っているのではないかと考える人が多くいたことも事実です。
18世紀の後半になると、イギリスの哲学者、ジェレミー・ベンサム(1748〜1832)は世の中のもっとも良い行い(正しい行い)は「最大多数の最大幸福」であるとする功利主義を主張しました。
この功利主義においては、その対象を人間だけでなく快楽や苦痛を感じることのできる動物にまで拡大しました。
また、ベンサムが主張するところによると、苦痛は道徳の最大の敵であると考え、私達人間が道徳的であろうとするのならば、痛みを感じる存在(動物)に対して、痛みを与えてはならないと提唱したのです。
そして1822年には「マーチン法」と呼ばれる世界で最初の動物愛護法がイギリスで成立しました。
こういった動物愛護の思想は、徐々に他の国々でも発達していきました。
動物の権利が考えられるようになった
次第に、人間に権利が認められるように、動物にも権利があると主張する人が出てきました。
動物の権利運動については、1970年以降にアメリカやイギリスにおいて発達していった考え方です。
動物実験や食肉への反対運動が起こり、動物解放論というものが活発に議論されるようになりました。
これはピーター・シンガーという倫理学者が出版した「動物の解放」という一冊の本が大きなきっかけとなっています。
ピーター・シンガーはこの本の中で、当時問題視されていた畜産のやり方や動物実験場でどれだけ動物が苦しめられているかということを詳細に報告しました。
また、それらは「種差別」であり、「人種差別」や「性差別」と同じく無根拠な差別であるという概念を提唱しました。
このように、人権に適応される考え方をそのまま動物に当てはめたものが動物の権利なのです。
こういった流れの中、動物に対する倫理観は発達していきました。
大多数は動物の福祉
現在、大多数の人は肉として動物を食べることや動物園で動物を展示すること、安全性を確かめるための動物実験などは生きていく上で必要なことであると考えているのではないでしょうか。
その対象の動物が生きているうちは苦しみを極力感じることなく生き、屠殺や安楽死を行う際にはなるべく恐怖や痛みを感じない方法で屠殺するというのが現代の一般的な考え方でしょう。
それを達成するための考え方としては、代表的なものとして動物の5つの自由や実験動物に対する3Rの法則、環境エンリッチメントというものがあります。
5つの自由
動物における5つの自由とは、1960年代のイギリスにおいて家畜に対する動物の福祉を考えた際に提唱された理論です。
現在では家畜のみならず、すべての生き物に当てはめて考えられています。
1.飢え、渇きからの自由
きれいな水、必要な栄養素を摂取できる
2.不快からの自由
温度や湿度、照明、飼育スペースの大きさなどそれぞれの動物にとって適切な環境を用意できる
3.痛み・負傷・病気からの自由
病気や怪我をしないような生活環境を整え、病気になった際には十分な獣医療を施すことができる
4.本来の行動がとれる自由
その動物本来の習性や生態に従った行動をとることができる
5.恐怖・抑圧からの自由
この5つの自由は産業動物、展示動物など多岐にわたる動物飼育場面で最も基本となる考え方で、人間の管理下にいる動物たちが、精神的、肉体的に満たされているのかを管理する指標にもなっています。
3Rの原則
これに加え、動物実験現場では3Rの原則というものが適応されています。3Rの原則とは、1959年にイギリスのラッセルとバーチという二人の研究者が提唱したものです。
その内容は
1.(Reduction:削減)
動物実験を行うに当たってできる限り実験に供される動物の数を削減すること
2.(Replacement:代替)
その実験に意識のある動物を用いるのではなくより感覚機能の低い動物を使用すること
や試験管内など生体を用いない実験方法へ対象物を代替すること
3.(Refinment:洗練)
できる限り動物に苦痛を与えないこと
の3つの頭文字をとって3Rの原則と呼ばれます。
これらは日本国内でも1999年に改正された動物の愛護及び管理に関する法律にて動物実験について言及した条文が組み込まれ、上記の3Rの原則の内容が盛り込まれることとなりました。
現在、この3Rの原則は国際原則となっています。
環境エンリッチメント
また、動物園などの展示動物に関しては環境エンリッチメントというものが大切な概念になってきます。
これは、飼育室内にできるだけ野生の環境を再現するなどして、動物本来のもつ特性を発揮することができ、ストレスなく暮らすことができるようにするというものです。
環境エンリッチメントには採食エンリッチメント、社会エンリッチメント、空間エンリッチメント、認知エンリッチメント、感覚エンリッチメント、という5つの種類があります。
この環境エンリッチメントも、動物の福祉に配慮するための大事な概念です。
動物の権利を主張する人もいる
動物福祉論者が大多数であるのに対し、動物の権利を主張する人の割合は少ないのですが、動物権利論については近年活発に議論されている話題です。
動物からの搾取を一切せずに生活している人々のことをヴィーガンと呼んでおり、ヴィーガニズムという主義を主張する人たちのことを指します。
このヴィーガンも動物権利論者に区分されます。
このヴィーガニズムは1951年にイギリスのヴィーガン協会の初代副会長だったレスリー・クロスが「人間は動物の搾取なしで生きるべきであるとする主義」と定めました。
この主張をする人々は食肉の廃止や毛皮・革製品の排除、動物実験の廃止などあらゆる動物からの搾取の禁止を求めています。
日本人と諸外国の倫理観の違い
このように人々の思想には様々な考え方のものが存在しますが、日本と諸外国ではその考え方に大きな差があることがわかっています。
1989年、東京で開催された「動物の保護及び管理に関するシンポジウム」にて発表された獣医師を対象としたアンケート調査の一部を抜粋すると、動物に意識があると認めた人は日本での100%に対し、イギリスでは74%でした。
さらに安楽死に関しての考え方の違いについては如実に違っていて、イギリスにおいて安楽死肯定派は86%だったのに対し、日本では52%に過ぎなかったと言います。
また、助かる見込みのない重症の動物が苦しんでいた場合、安楽死をさせるかとの問いにすると答えた人の割合はイギリスで88%だったのに対し、日本人は3%しか賛同しなかったということなのです。
(参考:アニマルウェルフェア−動物の幸せについての科学と倫理−P.4)
このアンケート調査が実施された年から45年の歳月が流れているため、各国における倫理観の傾向は変化していると考えられますが、このように大きな差があったということは大変興味深い事実であると思います。
また、アニマルウェルフェア−動物の幸せについての科学と倫理−において、著者は西洋と日本では福祉に対する考え方も違っていると主張しています。
ウェルフェアは動物の個体の感情を重視していますが、ウェルフェアの日本語訳である福祉については、個体の生存状態(命)を重んじる傾向にあるというのです。
このことは上記のアンケート結果からも読み解くことができるかと思いますが、日本人は動物の命に強く反応するのに対し、イギリス人は動物の苦しみにフォーカスしています。
また、日本と西洋における動物の愛護思想の違いについては、動物愛護法などの法律の条文からも読み取ることができます。
EU諸国で国際的な動物虐待の防止を訴えているアムステルダム条約では、「動物は意識ある存在」とするのに対し、日本の動物の愛護及び管理に関する法律では「動物は命あるものである」としているのです。
まとめ
このように、動物に対しての倫理問題についてはその時代や地域によって考え方が異なっています。
人間と動物は大昔から共に生活し、ペットとして成長した犬や猫もいれば、家畜として使役している牛や馬、実験動物、展示動物などその関係性は様々です。
大切なことは、人間は多くの生き物と関わって生きており、自分自身もその例外では無いと理解することです。
動物にどの程度の福祉や権利を求めるかということは、個人の考え方に大きく依存します。
そこに答えというものは存在しないのです。
そして、この答えのない問いをなんとなく受け流すのではなく、自分事として真剣に考え続けることがもっとも重要なことなのではないでしょうか。
ときには自分の考えや立場が分からなくなってしまうこともあると思います。
そんなとき、この問題に対して歴史上の人々はどう向き合って来たのかということを考えてみると、また新たな発見があるのではないかなと思っています。