上げ馬神事とは、三重県桑名市で毎年5月4日と5日に開催される多度祭り(たどまつり)の中で行われる行事の一つです。
町内6地区から3頭ずつの馬を用意し、神社にある坂道を登りきれるかどうかで、その年が豊作であるかどうかを占います。
上げ馬神事は1340年頃から始まり、1978年には三重県の無形民俗文化財の指定を受けました。
長い歴史を持った伝統行事である上げ馬神事が、なぜ動物虐待として「炎上」してしまったのでしょうか。
上げ馬神事の在り方から、これからの馬と祭りの関係を考えていきたいと思います。
上げ馬神事は動物虐待なのか?
長い伝統を持つ上げ馬神事が、近年になって動物虐待ではないかと指摘を受けたのはなぜでしょうか。
それは、複数の馬が神事の最中に暴力を振るわれたり、神事の際に追ったケガが原因で殺処分を受けたことに由来します。
問題の発端
上げ馬神事の在り方に問題があるのではないかといわれた発端は、2009年の行事において、馬を蹴ったり殴ったりしていることが告発されたことです。
このことは三重県警によって調べられ、桑名市内の団体所属の住民が動物愛護法違反の容疑で逮捕されました。
そこから調査がスタートし、15年間で少なくとも4頭が神事の際のケガが原因で殺処分を受けていたことが判明し、上げ馬神事のあり方自体を考えるきっかけとなったのです。
- 平成22年 1頭 坂での転倒が原因でその場で死亡
- 平成23年 1頭 坂での骨折が原因で予後不良となり殺処分
- 平成27年 1頭 坂での骨折が原因で予後不良となり殺処分
- 令和5年 1頭 坂での骨折が原因で予後不良となり殺処分
上げ馬神事はコロナの影響もあり2020~2022年は中止されました。
再開した2023年、またしても犠牲となる馬が出てしまいます。
この結果を受け、2023年6月に事故防止対策協議会が開催され、三重県が提案した意見が翌年開催予定の上げ馬神事で採択されることになったのです。
事故防止対策協議会では、動物愛護の考え方に基づいて、以下の点が提案されました。
- 上り坂に設置された絶壁の撤去
- 坂の構造の見直し
- 馬場の丁寧な整備
そして、2024年の上げ馬神事では、それまで設置されていた絶壁は撤去され、坂の傾斜も緩やかになったのです。
問題とされる絶壁の高さ
かねてより動物愛護団体の指摘を受け、坂の頂上に設置された絶壁の高さは、少しずつ低くなってきたといいます。
令和5年の上げ馬神事での絶壁の高さは、1.5~1.7m程度と確認されています。
関係者によると、過去の神事では絶壁の高さは2.5~3mもあったというのです。
ちなみに、サラブレッドの体高は平均して1.6~1.7mで、障害競技で使用される障害の最大高は1.6mです。
馬を扱う人たちの態度も問題に
上げ馬神事で問題になったのは、急な坂と絶壁だけではありません。
神事の最中に馬を扱う人たちの、馬への接し方も問題となっています。
過去の上げ馬神事では、馬がいるすぐそばで喫煙したり、飲酒したり、禁止されている馬をロープでたたくといった行為も見られました。
そのほかにも、罵声を浴びせたり、嫌がる馬や骨折して動けなくなっている馬を大勢で無理矢理押したり引いたりしている様子も確認されています。
上げ馬神事で使用される馬は、基本的に市や神社で飼育している馬ではありません。
神事のために馬を用意する「馬方」の人たちが、共同で借りたり購入したりし、神事が終われば返却・売却する場合がほとんどです(中には、市内の個人所有の馬を使用する場合もあります)。
多くが、神事のためによそからお借りしている馬です。
人間の好きなように動かして当たり前、という意識ではなく、「神事のために働いてくれてありがとう」という感謝の念を持って接するべきではないでしょうか。
馬を提供してくれる方々は、所有する馬が神事に参加できることを喜んで引き受けてくれてきたはずです。
名誉ある神事のために馬を提供したのに、ケガをしたり、メンタルを傷つけられたり、最悪の場合は安楽死させられたりといったことが続けば、喜んで提供してくれる方もいなくなってしまいます。
それらは、神事で起きたことだから「仕方ない」で済まされる問題ではありません。
「神事」としての意味
自分の体高よりもはるかに高い神事の絶壁を簡単に乗り越えられる馬はそうそうおらず、過去の記録では坂で立ち止まる馬を人間が無理やり引っ張る姿が何度も確認されています。
引きずられながら壁を乗り越えさせられる馬たち。
そうまでして完走させることに、もはや神事としての意味合いはあるのでしょうか。
伝統行事であることを理由に、神事本来の吉凶を占うという意味は薄れ、人間の、非日常感を味わうための娯楽感が強くなってしまったのではないかと考えます。
神道としての神事と捉えるのであれば、古来から神道では血や死といった「穢れ」を不浄なものとして、祓い清める対象としてきました。
「穢れ」は、ものや土地へと付着し、調和を乱すものであると認識されています。
その点を鑑みれば、ケガや殺処分が行われるような上げ馬神事は、すでに「神事」としての意味合いを持たなくなってしまうのではないでしょうか。
上げ馬神事でなぜサラブレッド?
現在、上げ馬神事で使用されている馬はすべてサラブレッドです。
日本古来の祭りである上げ馬神事で、なぜ在来馬でなく外国で改良されたサラブレッドを使用しているのでしょうか。
その理由は、サラブレッドの数が多く、手軽に入手できる馬だからです。
しかし、サラブレッドは上げ馬神事に向いている馬ではありません。
サラブレッドは平地をより速く走るために改良された馬であり、そのために細く長い足を持っています。
より速く走るために改良を続けた結果、サラブレッドは速さを手に入れた半面、「ガラスの脚」と呼ばれるほど、骨折のリスクが高い品種となりました。
サラブレッドは傾斜地を走るのには向いていない馬なのです。
在来馬とは
日本古来の馬といえば、サラブレッドよりも小柄で足が太い在来馬がいます。
在来馬の特徴として、身体が強健であることがあげられます。
消化管もよく発達し、寒冷地でも飼育に耐えられる身体を持つのが特徴です。
サラブレッドと比較して骨や蹄が硬いため、骨折しにくいといわれています。
在来馬は、農耕馬としてだけでなく、運搬にも利用されていました。
険しい山道であっても、小柄な割に力が強いこと、後ろ足が発達していて、斜面であっても無理なく歩いて行くことができます。
もともと日本は山が多く傾斜が多い国であるため、在来馬の特徴は日本で生きていくのに適しているのです。
伝記で、合戦のさなかに馬に乗った武者が崖を下っていく描写もいくつかありますが、それが可能であったのは在来馬の身体の強健さによるものではないかと思われます。
長い歴史を持つ上げ馬神事も、当初は在来馬を使用していたに違いありません。
急な上り坂を難なく上ってこれたのは、在来馬だったからという理由もあるのではないでしょうか。
在来馬は手軽に入手できない
本来であれば、日本の伝統的な祭りである上げ馬神事には、歴史や馬の特性を考えれば在来馬の使用が望ましいといえます。
しかし、令和5年の報告では在来馬8品種の頭数は全国で1,707頭と、圧倒的に数が少ないのです。
現在確認されている在来馬は保護対象となっており、ほとんどが文化財として指定されています。
そのため、飼育されている場所から移動させるためには許可が必要で、簡単に利用できないのです。
数が減り続けている在来馬を保護し、数を増やしていくことも、また別の大きな課題です。
上げ馬神事への反対署名
集まった署名は2万人以上!
2023年に上げ馬神事に参加した馬<メルズーガ>が、神事によって骨折し動けなくなった後も数時間放置ののち、安楽死の処分を実施されました。
この様子は、神事に参加した多くの観客が目にしています。
過去に何度も改善を要求していたにもかかわらず状況が変わっていないことを受け、同年6~8月にオンラインで「上げ馬神事の廃止」を求めるオンライン署名が実施され、なんと国内外から2万人もの署名が集まりました。
この署名を受けて、2024年の開催では絶壁を撤去したりといった対処が取られましたが、地元の方から祭り自体の盛り上がりに欠けるという声が多く上がったのも事実です。
上げ馬神事を馬にとって安全な祭りへと変えていくには、主催者側の意識の変容が大きな課題といえるでしょう。
日本三大馬祭りから考える祭りの在り方
日本には、多くの馬を使用した祭りがあります。
そして、それらの祭りの多くは、時代とともに多くの人々に受け入れられる形へと変遷し、引き継がれてきました。
ここでは、日本三大馬祭りの相馬野馬追(福島県相馬市)・チャグチャグ馬コ(岩手県滝沢市~盛岡市)・御田祭(宮崎県東臼杵郡美郷町)をご紹介します。
いずれも、伝統行事を守りながらも、馬を大切にしている様子がうかがえるお祭りです。
時代に合わせて変化した祭り:相馬野馬追
千年余りの歴史があり、軍事訓練の一環として始まったお祭りです。
3日間にわたり開催され、最終日には騎馬武者が数頭の裸馬を追い込む「野馬懸」が行われます。
毎年7月末に開催されていましたが、毎年の猛暑によって人だけでなく馬も日射病・熱中症になり、2023年にはそれが原因で死亡した馬もいました。
そのことから、開催時期を5月下旬~6月上旬に変更することが決定されたのです。
相馬野馬追は、馬と人が一体となって開催する祭りで、市の人々は馬を大切にしているという自負を持っています。
地域の方々が協力して支え合い、伝統のためだけでなく馬と共存する意識を持って祭りを開催しているのが伝わってきます。
昔と変わらず馬をいたわる唯一無二の祭り:チャグチャグ馬コ
チャグチャグ馬コは、毎年5月5日に鬼越蒼前神社から盛岡八幡宮まで、約14㎞の道のりを4~5時間かけて行進するお祭りです。
農耕馬として使役していた当時、馬の疲れをいやし、無病息災を祈るために神社のお参りをしていたことが始まりとされています。
馬1頭1頭の衣装は手づくりで、大小合わせて700もの鈴が取り付けられ、行進の時に軽やかな鈴の音が響き渡ります。
この祭りは、参加する人間の衣装のルールを細かく決めていることや、馬も人も傷つけないよう、馬を操る引き手の技術を大切にしていることも特徴です。
馬に競技をさせるのではなく、一緒に行進してお参りする、唯一無二のお祭りがチャグチャグ馬コなのです。
1996年、当時の環境庁から「残したい日本の音風景100選」に選ばれました。
チャグチャグ馬コは、参列する馬の数が年々減少していることが悩みとなっていましたが、近隣地域の方や有志の方が各保存会を作り、飼育にかかるコストを減らすための募金や馬と触れ合うイベントを主催し、祭りの存続に尽力しています。
自分たちで育てた馬で楽しむ祭り:御田祭
田代神社の平安時代から続く農耕神事で、人・牛・馬が泥まみれになって豊作を祈るお祭りです。
神田に入った牛や馬が上げた泥しぶきをかぶると、無病息災のご利益があるとされています。
大人も子どもも牛も馬も、泥まみれになって楽しそうに神田を駆け回るのが印象的です。
御田祭で使用される馬は、長い間近隣で飼育されていた方から借りていました。
しかし、祭りの存続のために自分たちが主体となって引っ張っていくという意識のもと、祭りの運営側の農家の方が馬2頭を引き取り、飼育を始めます。
自分たちの町で飼育している馬が祭りに参加することで、地元の方々から愛される存在として親しみを持ってもらえることは間違いありません。
これからの上げ馬神事のあり方
動物は使役するだけの存在であるという認識は、現代においては時代遅れといえるでしょう。
人間のために働いてくれることに感謝し、ともに安全・快適に過ごしていくにはどうすればよいかを考えていかねばなりません。
世界中で、現代まで継承されてきた多くのお祭りにおいて、動物たちが犠牲にならないような措置が次々と講じられてきました。
あるお祭りでは、生身の動物ではなくぬいぐるみを使用するよう変更がなされるように、いまや動物福祉はグローバルスタンダードになりつつあります。
時代の流れが変わって来たからではなく、動物たちの命を尊重するのが当たり前として、お祭りを継承していくことが大切です。
2024年度の上げ馬神事の開催を終えて、主催者側の配慮によって、一頭もケガをすることなく祭りを終えることができたのは幸いです。
しかし、馬を大切にするという意識については、まだまだ改善が必要であると、多くの方が声を上げています。
これから先、長く愛される祭りであるためには、馬を大切に扱うための努力が必須となることでしょう。
大切に育てている馬がひどい扱いを受けていると知れ渡れば、上げ馬神事に馬を提供する方もいなくなるのではないでしょうか。
馬がいなければ成り立たない神事であるということをしっかりと理解してもらい、この先のさらなる改善に期待しましょう。
最後に
人間の文化が時代の流れとともに少しずつ形を変えていくように、伝統行事であっても時代に迎合し、適切な形へと変容していくことはとても大切です。
日本三大馬祭りは、伝統と現代の価値観のバランスが取れた良い例ではないでしょうか。
伝統を守ることばかりに固執していると、存続すら危うくなることもあります。
広い視野を持って、人と動物それぞれの命を尊重し、お祭りをはじめとする伝統行事がこの先も発展していくことを願っています。