メキシコシティでの闘牛再開
2024年1月、メキシコの首都メキシコ・シティで2年ぶりに闘牛が再開されました。メキシコの闘牛は、スペイン統治時代に持ち込まれて以来、およそ五百年におよぶ歴史があります。
「闘牛は動物の福祉に反するのか」という議論
しかし近年は、闘牛に反対する声も高まっています。
2022年、市民団体「フスティシア・ジュスタ」(Justicia Justa)の訴えに対して裁判所が差し止め命令を出したことにより、メキシコ・シティでの開催が「無期限停止」されていました。
しかし2023年12月、闘牛が動物福祉に影響を与えるかどうかの判断を下すまでのあいだ、最高裁判所がこの一時停止を取り消しています。2024年には、この判断を受けて闘牛が再開されました。
2年ぶりに行なわれた闘牛
メキシコは、国技とするスペインに次いで闘牛が盛んな国で、メキシコシティにある「プラザ・メヒコ闘牛場」は4万1千席を擁する世界最大の闘牛場といわれています。
1月28日の闘牛では6頭の牛が出場し、すべて殺されました。
「闘牛はサディズムだ」など、今回の闘牛再開に抗議して、闘牛場の周りに約300人の人びとが集まりました。
一方、会場のプラザ・メヒコのグラウンドには「自由を。闘牛は生きた文化だ」と書かれていた、とフランス通信社は報じています。闘牛場は満席で、まるで祭りのような盛り上がりでした。(参考:CBS NEWS, 2024年1月29日)
メキシコで見直され始めた闘牛
多くの観客を集めるメキシコの闘牛ですが、2013年にはメキシコでは初めてソノラ州が闘牛を禁止しました。
他にシナロア州、ゲレロ州、コアウイラ州、キンタナロー州、ハリスコ州の州都であるグアダラハラなどでも闘牛の開催は制限されています。(参考:CBS NEWS, 2024年1月29日)
メキシコの闘牛の歴史
メキシコの闘牛は、植民地としてメキシコを支配したスペインに起源をもちます。簡単に振り返ってみます。
メキシコ中央高原には、14世紀ごろからアステカ帝国が栄えていました。アステカは太陽神を信仰し、独自の暦をもち、巨大な建造物をつくるなど、高い文明をもっていた国です。
16世紀になると、H・コルテスが率いるスペイン軍が侵攻し、そのアステカ帝国が崩壊します。1521年には帝国の土地と先住民をスペインの支配下に置きました。メキシコが独立を回復したのは19世紀のことで、幾度かの失敗の末、1821年に独立を果たします。
この間、約300年間スペインの統治下に置かれたメキシコは、スペインに強い影響を受けました。公用語はスペイン語で、住民の9割がカトリックを信仰するキリスト教徒です。闘牛もスペインの文化のひとつで、スペイン人の入植と前後して持ち込まれました。スペイン以外ではもっとも多くの闘牛場があり、高度な技が競われているといわれています(参考:BULLFIGHTS IN MEXICO)。
文化としての闘牛
闘牛は、本家スペインではどのような要素のある催しなのでしょうか。
ひとと牛が闘う見世物として、闘牛は長いこと人気を博してきました。18世紀になると、それまで馬に乗っていたマタドールは、歩いて登場して牛と闘うようになります。
より様式的に、ショーに芸術性を加える工夫は続き、闘牛士の衣装(上着、ベスト、ズボン)についても決まりができました。闘牛士は「光の衣装」とよばれる、金糸や銀糸で華麗な装飾を施した儀式の服を身につけます。そしてこの衣装は、階級や役割によって異なります。
セビリアでは、19世紀半ばまでに闘牛士を育てる学校もできたと伝えられています。
闘牛と「男らしさ」
スペイン人の重んじる「男らしさ」は、machoteと表現されます。日本でも「男っぽさ」をしばしば「マッチョ」といいますが、これは男性性を尊ぶラテンアメリカのスペイン語の macho(雄)に由来します。
闘牛士たちは、命を賭して牛と対峙し、負傷したり命を落としたりすることもあります。男性的な肉体の力を誇示し、勇気・胆力を示す闘牛士は、スペインとその影響を受けた文化圏では「男の中の男」ともいうべき存在で、賞賛・尊敬を集める対象です。
4億ドル産業としての闘牛
メキシコの国内には225の闘牛場があり、スペインに次ぐ闘牛場の数と開催回数を誇ります。
大小の街に存在する闘牛場と運営スタッフの雇用を維持するには、十分な観客を呼び込んで興行的にも成功させなければなりません。宣伝や運営、開催などに大勢のひとがかかわっています。
一度の闘牛では、4頭から6頭の牛が出場し、闘牛士との闘いによって命を落とします。用いる牛は、乳牛や肉牛とは別種の、闘牛に特化した牛です。より体が大きく、闘争的で、見た目も美しい牛を得るために、育種家たちは品種改良に力を注ぎ、血統を確立しました。牧場もまた、牛を健康に育てて送り出す役割を担っています。
また、牛の売買や流通、各地の闘牛に合わせての輸送なども含めると、メキシコの闘牛は4億USドルを生み出す巨大産業です。メキシコ全国闘牛育種協会は、この産業に直接には8万人、間接的には14万6千人がかかわっていると推計しています(参考:CBS NEWS, 2024年1月29日)。
闘牛をめぐる世界の動き
闘牛は、スペインやメキシコ以外でも行われて(あるいは過去に行なわれていた)います。
- ヨーロッパ:フランス、ポルトガル
- 南アメリカ:ベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー
- アジア:日本、韓国、インドネシア
動物福祉の観点で見直しの潮流
いずれも歴史のある行事ですが、人間の都合で牛を闘わせ、多くは殺す結果になることが動物虐待に当たるという批判を受けて、近年いくつかの地域では闘牛を禁止しています。
- 1991年 スペイン、カナリアで闘牛を禁止
- 2011年 スペイン、カタルーニャ州で闘牛を禁止
- 2013年 メキシコ、ソノラ州が闘牛を禁止
(参考:The Guardian, 2011年9月25日、San Diego Red, 2013年5月6日)
韓国では、韓国文化財庁が国家無形文化財の対象として闘牛の調査を始めたことに対し、動物保護団体が反対を表明しました(ハンギョレ新聞、2024年2月2日)。
長い伝統があっても、闘牛は現在の価値観には合わないと感じるひとが増えていて、見直しを始めた地域も出てきました。一方で、文化の継承の観点から反発するひとも少なからずあり、双方が納得する着地点を見出すのは容易ではありません。
日本における闘牛
日本にも闘牛があります。しかし、スペインやメキシコと違い、ひとと牛が闘うのではなく、牛同士を闘わせる行事で、「牛角力」(うしずもう)として俳句の「夏」の季語にもなっています。
闘牛の歴史
島根県隠岐の島の闘牛は「牛突き」とよばれます。八百年に及ぶ歴史があるといわれ、承久の乱によって隠岐に配流された後鳥羽院のために、島の人びとが始めたのが起源と伝えられているので13世紀にさかのぼります。闘う牛の一方が逃げたらおしまい、がルールです。
新潟県長岡市(旧山古志村)の闘牛は「牛の角突き」といい、こちらも千年の歴史をもつと伝えられています。牛は角を突き合わせますが、傷つかないようにひとが割って入り引き分けにします。
闘牛は、京都・高山寺所蔵の絵巻「鳥獣戯画」にも描かれているので、制作された12~13世紀ごろには存在したのではないかとみられています。
当時の日本では肉食が一般的ではなく、また牛乳を飲む習慣もありませんでした。歴史的背景を考えると、そのころにいた牛は、身分の高いひとの牛車を引いたり、農耕に用いる役牛でした。牛が傷ついたり、死んだりすることのないようにしているのは、生活に必要な働く牛を使っていた背景がありそうです。
9市町が参加する「全国闘牛サミット協議会」
現在も闘牛が行なわれている複数の市町村が集まり、1998年に「全国闘牛サミット協議会」が結成されました。2023年には鹿児島県徳之島町で第26回の会合が開かれ、「闘牛文化の発信や保存・継承に取り組む基本方針」が確認されています(参考:『南海日日新聞』2023年10月23日)。
闘牛が継承されている市町村
「全国闘牛サミット協議会」は以下の9市町村で、それぞれに長い歴史があり、伝統が継承されています。市町村や観光協会などの闘牛を紹介したページにリンクを貼りましたので、参考にしてください。
- 岩手県久慈市(旧九戸郡山形村)
- 新潟県小千谷市
- 新潟県長岡市(旧古志郡山古志村)
- 島根県隠岐の島町(旧隠岐郡西郷町、旧隠岐郡都万村)
- 愛媛県宇和島市
- 鹿児島県大島郡天城町
- 鹿児島県大島郡伊仙町
- 鹿児島県大島郡徳之島町
- *鹿児島県徳之島の闘牛(天城町・伊仙町・徳之島町)
- 沖縄県うるま市(旧具志川市)
国指定の重要無形民俗文化財(小千谷、長岡、隠岐の島、宇和島)、市の無形民俗文化財(久慈、うるま)、町指定の文化財(伊仙町)など、文化的な価値を認められている行事が多くあります。
動物がかかわる日本の伝統行事
闘牛以外にも最近、動物が大きな役割を果たす伝統行事について議論がありました。
糸満ハーレーの「アヒル取り」
沖縄県糸満市で行われる「糸満ハーレー」は、大漁と航海の安全を祈願する神事です。
市の無形民俗文化財にも指定されているこの行事の一環として行なわれる「あひる取り競争」をめぐって、2023年6・7月、動物の権利擁護にかかわる団体が、関係者を動物愛護法違反で告発しました(参考:沖縄テレビ・2023年7月24日)。
海に放したあひるを追いかけて、素手で捕まえるのは動物虐待に当たる、という見解です。
三重・多度大社の「上げ馬神事」
三重県桑名市の多度大社の「上げ馬神事」は、その年の作柄を占う行事で、県の無形民俗文化財の指定を受けています。
ひとを乗せた馬が急坂を駆け上り、約2メートルの壁を越えるものですが、2023年の開催では、途中で転んだ馬が骨折、回復の見込みがないとして殺処分されました。
主催の多度大社や桑名市、三重県、関係者などには抗議が相次ぎ、「事故防止対策協議会」で改善策を話し合うことが決まりました(参考:NHK・2023年7月27日)。
いずれも、地元で親しまれてきた伝統行事ですが、かかわる動物がけがをしたり、命を落としたりする点が問題視されています。
ひとも動物も幸せな社会に
伝統行事には長い歴史があります。闘牛やその他の伝統行事も、もともとは神事や占いで、行事が成立・継承されてきたのには理由があり、その点が評価されて無形文化財に指定されているものもあります。
動物福祉は比較的新しい考え方ですが、さまざまな行事についても、人間の都合で動物にストレスや苦痛を与えてはいないかという点からも検討することが望ましいと思います。
もちろん、伝統を担ってきたひとびとへの敬意は忘れてはなりませんし、改変するとしたらどのような効果が期待できるのか、慎重な議論が必要です。