奈良公園の名物といえばたくさんありますが、その中の一つが野生のニホンジカです。
人によく慣れていて、放し飼いの状態で園内で見たりふれあうことができることもあって、園内を訪れる人たちの楽しみの一つとなっています。
しかし、ここ数年、シカとのふれあいでいくつかの問題が生じているのをご存知でしょうか。
一部の観光客がエサではないものを与えることや、シカへの暴力行為が確認されるなどしています。
その結果、行政から禁止行為が追加で発表されたり、警察が園内で呼び掛けをしたりといった事態となっているのです。
今回は、奈良公園のシカに起こっている問題を整理して、多くの方々の意識改革につなげたいと思います。
人間の行動によってシカの安全が脅かされている

奈良公園では、多くの方が節度を保ってシカとふれあい、そのふれあいを楽しんでいます。
しかし、一部の観光客、特に近年は外国人観光客からのシカへの被害が問題化しているのです。
現在、以下のようなシカへの被害が確認されています。
- 食べ物の誤飲
- シカへの暴力的な行為
- 交通事故
- 犬とのトラブル
食べ物の誤飲
観光客が与えるエサではない食べ物や放置されているごみをシカが食べてしまい、体調を崩してしまったり、亡くなってしまうケースがあります。
シカはご存じのように草食動物です。
奈良公園内では、ドングリやシバ、落ち葉などを食べて生活しています。
観光客向けに販売されている「鹿せんべい」は、シカたちにとって「おやつ」にあたります。
鹿せんべいは、シカ達にとって食べても問題ない原料のみで作られているため、安全です。
観光客の中には、「せんべいを食べるのであればほかの食べ物を与えても問題ないだろう」と、深く考えず、人間の食べ物、たとえばパンやスナック菓子、野菜などを与える方がいるようです。
これらはシカにとって虫歯や消化不良の原因となり、それらの味を覚えることで、人間にとっては周辺の農作物を荒らされる原因になります。
鹿せんべい以外のものは与えないようにしましょう。
奈良公園の園内には長年ごみ箱がありませんでした
奈良公園は、シカとの共生に重点を置き、昭和60年代に園内のゴミ箱を撤去しました。
近年まで大きな問題がなかったのが、インバウンドの拡大によって観光客が増加し、園内にゴミが放置されるようになったのです。
食べ物のパッケージなどは、においがすることからシカが間違えて食べてしまいます。
シカがごみを誤飲するのを防ぐため、奈良県やボランティアが回収に当たっていました。
しかし、すべてを防ぐことはできず、誤飲によって病気になったり、死亡したりするシカも少なくありません。
誤飲したシカの胃からは、最大4.3kgのゴミが発見されたこともありました。
また、2019年に原因不明で亡くなったシカの胃の内部を調べると、9頭からプラスチックごみが発見されたとの報告もあります。
参考:時事ドットコム
暴力的な行為
一部の観光客によって、シカを叩く、蹴る、背中に乗るなどの暴力的な行為が確認されています。
暴力的な行為によるシカの死亡例も
2021年には、男性が斧のようなものを使用してシカの頭を叩いて死亡させた事例もあります。
この男性は、「文化財保護法違反」で逮捕され、のちに有罪判決を受けています。
中にはロープのようなもので口を結ばれたシカもいました。
「暴力的な行為を確認した」という通報や、「それらの行為を何とかしてほしい」という相談も相次いでいます。
交通事故

ほかに問題となっているのが、シカとの交通事故です。
奈良公園は広大な敷地を誇り、一部は一般道が走っています。
一般道におけるシカと車の接触による事故が、毎年発生しているのです。
奈良県の発表によると、毎年130件前後のシカとの交通事故が発生していて、多い年には200件に近い件数の事故が報告されています。
シカが活動しはじめる早朝や、車の量が多い夕方にかけて交通事故は多く発生しています。
また、月別の交通事故件数も発表されており、それによると、秋に件数が急増するとのことです。
エサであるドングリなどが園内に多く発生することで、それらを求めて移動するシカが増えるのでしょう。
実際に事故対応をされている方によると、この時期は交通事故に遭った子ジカが多く運ばれてくるといいます。
シカは賢い生き物なので、車が停車するのを待ってから移動したり、横断歩道を利用したりする姿が目撃されています。
しかし、生後間もない子ジカが、そのような学習をするのは難しいでしょう。
奈良県は対策を講じているも事故件数減少にいたらず?
奈良県は、特に交通事故が多い場所を把握して、2018年ごろから継続して対策を講じています。
たとえば、
- 奈良公園内の飛火野エリアにおける実証実験の実施(継続中)
- 飛び出し注意の標識や反射鏡の設置
- 啓発活動(携帯電話アプリ、鹿交通事故多発リーフレット)
- 「奈良のシカ愛護月間」での広報啓発
などがあげられます。
また、2020年には、シカとの交通事故件数がなかなか減少しないことを受けて、事故急増箇所沿いの道路にシカ飛出し注意標識と立て看板の設置も行いました。
交通事故を減らすにはこのような呼びかけは大切ですが、ドライバーが意識を向けることも大切です。
シカとの交通事故の多くは、スピードの出し過ぎが原因ともいわれています。
人間に、すべてのシカの行動を予測することはできません。
一人ひとりが意識して、園内は特に注意して低速運転を心がけることが必要です。
参照:奈良県|「奈良のシカ」との人身事故、交通事故の発生状況と対策の実施状況について
犬とのトラブル
奈良公園内は、犬の連れ込みが許可されています。
広い園内を毎日の散歩ルートにしたり、また観光で愛犬を連れてきたりと、犬との生活を楽しまれている方が多くいます。
中には、犬とシカとの交流を楽しみにしている方もいるようです。
一方で、犬とシカのトラブルが報告されているのも事実です。
シカは本来臆病な動物なので、犬にほえられたり追いかけられたりすることで驚いて急に走り出し、人間と接触したり、交通事故に遭ってしまったりするケースがあります。
反対に、犬の方が気の強いシカに威嚇される、追いかけられるといったケースもあるようです。
園内では犬は必ずリードをつけて、決して目を離さないように注意しましょう。
犬の排泄物も、必ず処理が必要です。
奈良公園のシカを守るための取り組み

奈良公園内のシカのトラブルを減少させるため、特に近年、奈良県は積極的に活動しています。
これらの取り組みには、シカの誤飲や暴力的な行為を減少させようと懸命に活動しているボランティアの声が大きく影響しているようです。
試験的にごみ箱が設置されることに
奈良公園内でシカがごみを誤飲する事態を受けて、奈良県は2025年1月、試験的に1ヶ月間、園内の複数箇所にごみ箱を設置しました。
ごみ箱を設置することで、園内で発生するごみの量や種類、発生する時間帯を調査したのです。
調査の結果、食べ歩きによって発生するごみがほとんどで、その後も継続して設置することが決定されました。
ごみ箱は開閉式となっているため、シカが誤飲する心配はありません。
今回のごみ箱の設置については、特にボランティアの方々の声が大きく影響したようです。
これを機に、観光客のマナー向上も期待したいところです。
参照:奈良県|奈良公園エリアにおけるデジタル技術を活用した ごみ回収拠点の設置及び効果検証実験について
暴力行為禁止のために奈良県は条例の一部規定を改正
このような事例を受けて、2025年4月1日付で、奈良県はシカに対する加害行為の禁止を、奈良公園内の禁止行為として奈良県立都市公園条例施行規則に基づいて追加しました。
「みだりに、その身体に外傷が生ずるおそれのある暴行を加え、又はそのおそれのある行為をさせること及びそれに準ずる行為」の禁止が盛り込まれたのです。
また、警察もこのような事態に対応するため、園内にDJポリスを派遣して、数ヶ国語でアナウンスを実施しています。
実際に禁止行為として追加されたのちは、暴力的な行為の目撃は激減したと、SNSなどで話題になっています。
参照:奈良県|天然記念物「奈良のシカ」に対する加害行為の防止について
なぜ奈良公園にはシカがいる?

野生動物であるシカが、公園内を悠々と歩いている姿を、疑問に感じたことはないですか?
奈良公園にシカがやってきたのは、じつは奈良時代にまでさかのぼるのです。
平城京ができたころ、藤原氏は氏神として茨城県の鹿島神宮から春日大社に神様をうつしました。
このときの神様の乗り物がシカだったということで、それ以来シカは神の使いとして大切にされてきたのです。
大切にされたことで頭数が増え、2024年7月時点で、園内には1325頭ものシカが生息していると報告されています。
参考:奈良観光おすすめガイド|なぜ奈良公園には鹿がいる?
奈良公園でシカと接する際のマナー

奈良公園でシカと触れ合うことは、多くの観光客の楽しみの一つとなっています。
シカとのトラブルなく触れ合うためには、いくつかの守るべきマナーがあります。
それらのいくつかをご紹介しましょう。
繁殖期や出産・子育てシーズンにはむやみに接触しない!

時期によっては、シカの気性が荒くなっていて、近づくだけでも威嚇・攻撃されることがあります。
注意すべき時期は、オスは9~11月頃の繁殖期、メスは5~7月の出産・子育てシーズンです。
特に雄は、大きく伸びた角によってケガをする可能性が高くなります。
角を切っているシカも、気性自体が改善されているわけではないため、注意が必要です。
もちろんそれ以外の季節でも、節度を持って触れ合うことが大切です。
荷物の紐にも注意しましょう

シカの角にカバンのショルダー紐やカメラのストラップなどがひっかかってしまうトラブルも報告されています。
これは、シカたちが故意に荷物を引っ張ろうとしているわけではありません。
人間がしっかりと注意して、トラブルにならないよう気をつけましょう。
与えてよいおやつは鹿せんべいだけ!

奈良公園のシカへの餌付けは「奈良県立都市公園条例施行規則」における公園の利用者の遵守事項(第十二条)によって、鹿せんべい以外が禁止されています。
例外として、園内に落ちているドングリは拾って与えることが可能です。
園外のドングリを持ち込むことはできません。
シカは本来、園内のドングリやシバなどを食べることで、人間からの餌付けに頼らなくても生きていける生き物です。
また、シカはもともと野生の生き物であるため、自力で生活することで個体数も自然と調整されています。
人間が必要以上にエサを与えることで、シカの体調に影響を与えたり、人間に依存するようになったりする場合があるのです。
観光客がシカに与えるのは、基本的には販売されている鹿せんべいだけと覚えておきましょう。
鹿せんべいは、原料が米ぬかと小麦粉、水だけで作られており、シカにとって安全なおやつです。
せんべいを束ねる紙は天然のパルプ紙を、印刷は大豆インクを使用しています。
シカが食べても害はありません。
鹿せんべいを購入して与えることで、その売り上げの一部は保護活動に使用することができます。
「子どもがたくさんドングリを拾ってきて、捨てるのがもったいない」「たくさん落ちているドングリを有効活用したい」と思ったら、奈良公園の鹿に寄付しましょう。
奈良公園の鹿の保護活動を行っている「一般社団法人 奈良の鹿愛護会」に、ドングリを寄付することができます。
ドングリの寄付は、もちろん園外で拾ったものでも行うことができます。
寄付をする際、ドングリはシカが安全に食べることができるように、しっかりと天日で乾燥させましょう。
事務所に持ち込むか、元払いで配達することで受け取ってもらえます。
ドングリの木が伐採されている?

奈良公園では、園内の景観保護を目的に、「奈良公園植栽計画」に則り、ナギやナンキンハゼなどの外来樹木を中心とした伐採が行われています。
しかし、公園利用者からは、それまでシカが木陰を利用していた木や、シカのエサとなるドングリを実らせる大きな木も一緒に伐採されているとの声が上がっているのです。
2025年4月には、「奈良公園の鹿と自然を守る会」から、奈良公園のドングリの木の伐採の即時中止を要求するオンライン署名が開始されています。
同会によれば、計画によって30本以上のドングリの木が伐採されたといいます。
ドングリは、園内で暮らすシカの重要な栄養源です。
県の計画をしっかりと確認する必要がありますが、ただ景観の維持だけを目的にした伐採は、一度見直す必要があるのではないでしょうか。
参照:奈良県|Ⅱ.公園全体の植栽方針
オンライン署名:奈良公園のドングリの木の伐採の即時中止を要求します
シカが保護されているのは一部地域だけ

奈良公園内では人気者のシカですが、じつは、地元の農家の人たちから見れば、困った存在でもあるのです。
シカが引き起こす農作物や樹木の食害によって、農家の人たちはこれまで多くの被害を受けてきました。
大切な農作物が被害を受けても、シカが保護対象の動物であることから捕獲ができず、ただその状況を受け入れるしかなかったのです。
重篤な被害状況を把握して、行政はようやく対策を打ち出しました。
2017年、奈良市を4つの区にわけ、そのうち、山林などの多い一つの地区で捕獲することを決めたのです。
2021年以降、毎年160~180頭前後のシカが捕獲されています。
参照:奈良県|保護地区(A、B地区)、緩衝地区(C地区)における「奈良のシカ」の捕獲状況
奈良市の人々にとって、シカは神の使いとして長きにわたって親しんできた存在ですが、その地で生計を営む農家の人たちにとっては、その間もどかしい状況が続いてきたことも事実です。
それぞれが共存する道を探すのは大切ですが、一方が我慢のみを強いられる関係は、いつか破綻するでしょう。
シカだけでなく、地域に暮らす人々も含めて生態系とみなすのであれば、どこかで折り合いをつけることも大切です。
シカの捕獲については、当事者でない方々は、静かに見守るべき問題といえるでしょう。
まとめ
奈良公園は、1300年以上も昔から野生のシカと共存してきた、類いまれな場所です。
これを支えてきたのは、シカの賢さだけでなく、人々の確立されたモラルが維持されてきたからでしょう。
この素晴らしい関係は、将来にわたってぜひ続いてほしいと思います。
奈良公園内のシカの安全を巡る問題は、エサやりだけでなく交通事故や暴力的な行為など幅広く、すべてを改善するにはまだ時間がかかるでしょう。
そうした問題の解決を保護団体やボランティアに頼るのではなく、倫理観ある人間として、できることに対して積極的に取り組むことが大切です。
奈良公園のシカを大切に思うすべての人々の協力によって、園内のシカを取り巻く環境を、よりよいものへとつないでいきましょう。